病めるときにこそ、夫婦が試される

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今日、肺がんの術後1年目の経過観察で「異常なし」と告げられた後、私は夫と赤坂のお寿司屋さんで遅い昼食を取りました。 昨年の抗がん剤治療では味覚異常が起き、食べることがつらい時期がしばらく続いていました。味覚異常のつらさは、体験しないとわかりにくいものです。私の場合は味覚がまったくなくなったわけではなく、とにかく何を食べても本来の味ではなく“変な味”がする、といった感じでした。だからこそ、“美味しい”と感じられることは本当に幸せなことです。そして、その喜びを夫と分かち合えることが、どれほどありがたいことなのかを再認識しました。

私は長い間、「安心できる場所」というものを持たずに生きてきました。 実家は父の経済的DV、モラハラ、フキハラが日常で、幸せではない母の愚痴の相談相手は私でした。物心ついたころから母のカウンセリング相手として“いい子”でいなければならなかった私にとって、家は心が休まる場所ではなく、常に気を張り続ける場所でした。だから離婚したとき、実家に戻るという選択肢は全くありませんでした。姓を戻さず、自分の戸籍を新しく作ったのは、「自分の人生を自分で守る」ための決意のようなものでした。

離婚前の結婚生活も、安心とは無縁でした。 前夫は外面だけ良く、自己中心的で、私が体調を崩してもケガをしても気遣われることはありませんでした。3人の子育てもほとんどがワンオペに近い状態で、早い段階から“頼る”という発想すら消えていきました。親として子どもを育てる義務と責任は、辛うじて私が生き続けるための頸木のようなものでした。10年前に乳がんになったときには、すでに第三子も成人していたので、「もう親としての自分の役割は終えた」と感じていたので、積極的な治療を受けたいという気持ちはありませんでした。

そんな私の人生が変わったのは、今の夫と出会ってからです。 「あなたに生きていてほしい」 「治療してほしい」 「一緒に生きていきたい」 そう言ってくれる人が、初めて現れたのです。

昨年5月末に肺がんの手術を受け、8月から11月まで毎月10日間の入院で抗がん剤治療を続けました。体力は落ち、吐き気や頭痛で家事はまったくできない日が続きましたが、夫はあらゆる面で寄り添い続けてくれました。

退院して家に戻ると、キッチンもお風呂もトイレも、しっかりとり掃除されていました。 冷蔵庫には、私が料理をしなくてすむように、すぐに食べられるものがぎっしり詰められていて、本当に驚きました。人生で初めて、「弱っている自分をそのまま受け止めてくれる場所」があるのだと感じられました。

小さいころから「女三界に家なし」と聞かされ続けてきた私にとっては本当に衝撃でした。

食べることは生きること。
味がしない、苦い、金属の味がする——そんな日々を過ごしたからこそ、「美味しい」と感じられることがどれほど幸せなことか、身に染みてわかります。そして、その“美味しい”を愛する人と一緒に味わえること。同じ時間を共有して「美味しいね」と言い合えること。これこそ生きる喜びと言えるのだと思います。

折しも、今日のNHK朝ドラ『風、薫る』(第40回)でも、「自分のためではなく、誰か(家族や大切な人)のためなら踏ん張れる」という場面がありましたが、まさにその通りだと思います。

マザー・テレサの言葉に、 「最悪の病気と最悪の苦しみは、必要とされないこと、愛されないこと、大切にされないこと、すべての人に拒絶されること、自分がだれでもなくなってしまうこと」 というものがあります。

私は、自分のために生きたいとは思っていません。 長生きのリスクも、FPとしての視点からよく理解しています。 それでも、夫が「あなたに生きていてほしい」と言ってくれる限り、私は生きようと思います。 誰かの愛が、人をここまで強くするのだと、身をもって知りました。

これからも、夫と一緒に「美味しいね」と言い合える日々を大切にしていきたいと思っています。 それが、今の私にとっての“生きる理由”です。

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